11/1 ❝福岡ハカセ❞がN学へ!② 『特別講座』の概要(第1回)
- 東京本校
2019.11.18
福岡伸一先生特別講座の概要(第1回)
11月1日(金)に実施しました分子生物学者の福岡伸一さんによる『N学特別講座』。お話の内容を3回に分け、お伝えします。文中の“私”は、福岡さんご自身を指します。 “福岡ハカセ”の生命を捉えなおす ~動的平衡の視点から~
第1回 “虫オタク”から顕微鏡の世界へ
こんにちは、福岡伸一です。何か一つのことを好きであり続けることで、人は豊かな人生を送ることができる、と私は考えていまして、今日はみなさんに、そのことについてお話したいと思っています。
現在の私は生命現象の研究をしていますが、もともとの子ども時代は虫大好きの昆虫少年、今でいう“虫オタク”でした。そのころの夢は、新種の蝶を捕まえて図鑑に載せることでした。
この写真は、蝶がさなぎからかえったところですが、かっこいい形といい色のうつくしさといい、驚くばかりです。この蝶になるには、幼虫は、いったんさなぎの中でドロドロに溶けてそれから蝶に変化してゆく。生命の精妙さとしか言えないもので、そこから私は、生命とは何かという素朴な疑問を持続して考えるようになったわけです。
親は、“虫オタク”で友だちがほとんどいなかった小学生の私のことを心配して、顕微鏡を買ってくれました。同世代の子どもたちと一緒にいろいろ観察しているうちに仲良しもできるかもしれない、そのためのコミュニケーション・ツールになればというのが、親の意図でした。その顕微鏡で、私はまず、蝶の羽――リン粉を見たのですが、そのミクロの小宇宙に感動してしまい、かえって友だちはいらなくなって、内向的に探索する少年になってしまいました。
同時に、この顕微鏡の源流を知りたいと思うようになりました。いまなら、グーグルの検索ですぐ答えが見つかるでしょうが、昭和の小学生が頼りにしたのは図書館でした。ここで道草をしながら調べを進めるやり方には、とても意味があったのだと思います。目指す情報の書かれた本がどこにあるのか探す手がかりが、日本十進分類法です。いわば本の地図で、それを知ってわたしは、すべての知識には番地があることを理解しました。
行きついたのは、顕微鏡がどのように発明されたか、でした。舞台は、いまから350~400年前のオランダのデルフトという街です。歴史上オランダが最も発展していた時代で、デルフトはその経済・文化の交差点に位置していました。この街に生まれたレーウェンフック(1632~1723)が顕微鏡の発明者。もともとは織物商、いわば町の普通の市民でしたが、とにかく物好き。道具を集めレンズを磨き、やがて顕微鏡づくりに専念するようになりました。彼のレンズは、いまの携帯のそれより精度が高く、顕微鏡の倍率は300倍の性能を持つといいます。レーウェンフックは、自作の顕微鏡を用いてまず、運河の透明に見える水の中に無数の生物=微生物を、そして、細胞、白血球、赤血球を発見していきます。研究対象は、生物の精子にも及びました。ただの人がなしとげた大発見の連続…。レーウェンフックになりたい!というのが、生物学者である私の原点ともいえます。
レーウェンフックを調べる寄り道で出会ったのが、私が書いた『ルリボシカミキリの青』にも登場する画家のフェルメール(1632~1675)でした。やはりデルフトの人で、レーウェンフックとは、生まれた月も一緒(1週間違い)、しかもごく近所に住んでいたことから二人は友達であったろうと考えられます。フェルメールもまた、私の人生を豊かにしてくれることになります。


