栗山英樹さん講演「自分を信じる力」前編
2023.05.29
N学特別講座の講師として栗山さんに来校いただきました

5月19日(金)、NHK学園東京本校に栗山英樹さんがいらっしゃいました!
2023年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で野球日本代表監督を務め、みごと優勝へ導いた栗山英樹さん。在校生とその保護者向けに開催する<N学特別講座>の講師として、「自分を信じる力」をテーマにお話くださいました。
会場となった東京本校の体育館は満員。来場のみならず、全国のスタンダードコース、ライフデザインコースの生徒もオンラインで参加。WBCの舞台裏の話も交えたお話に聴き入りました。
ご自身の野球人生、監督経験から感じた<生き方>についての栗山さんのお話をご紹介します。
「監督」という仕事 ~悪口は気にしなくていい~
今日は、みんなに何を話したら一番元気になって、勇気が出るのかな、と考えながら来ました。まず、WBCはご覧いただけましたか。楽しかったですか。
これから、野球の戦いの中から僕が考えたり、感じたりしてきたことを話していきます。その中で、みんなの「これからこうしたい」「こうやりたい」ということにプラスになればすごくうれしいです。選手との向き合い方の一つひとつの事例を挙げながら話をしていこうと思います。
今回のWBCは、野球のくくりの中で日本のトップチームを勝たせてくださいと頼まれるという初めての経験でした。勝たなくてはいけないというプレッシャーが思った以上にありました。
監督というのは決して偉いわけではないんです。僕の思っている監督というのは、一番嫌なことをやる人。もう一つあるとすると、ものを決める係。そういった監督の仕事をする中で、僕が感じていたことを話していこうと思います。
(スクリーンに映った映像を指して)これ、誰だかわかりますか。
ダルビッシュ投手ですね。
代表に誰を選ぶか。多分、皆さんに聞いたらそれぞれ違うんです。自分なりに考えて代表を選んで、それで勝てば許してくれるけれども、負けたら批判しかない。…そんな感じです。
最初に言っておきますけれども、監督というのは、世の中からものすごく批判されます。僕なんか「ぼろくそ」です。日本ハムファイターズの監督をやっているときに、3年間ずっと勝てなくてBクラスが続いているときに、「よくこれだけ言えるな」と思うぐらい悪口を言われているわけです。
でも、みんなもわかっていると思いますけれども、本当によくなかったら直接言われるので、そういうふうに言われることは全然気にしなくていいです。本当に思っている人は直接言ってくれるので、そういう悪口は完全に無視して大丈夫なんですよ。
日本代表メンバーを選ぶときに考えたこと
僕は、野球はアメリカでできたスポーツなので、WBCでアメリカに行って、アメリカのすごい選手を倒すという、長い歴史の中で先輩たちも思っていたことをやりたいと思っていました。だとすると、日本代表のメンバーを選ぶときに、みなさんが監督だったとしても、アメリカに行ってプレーしている選手を多く選びたいな、と思いますよね?
みなさんは、自分のやりたいことを追いかけてください。周りの人は関係ないです。自分がやりたいと本当に思えたことはがんばれます。でも、この世の中にはルールがあります。みんながそれぞれ好き勝手に動いたらぶつかってしまうので、ぶつからないようにルールは必要です。
日本代表で言えば、チームをまとめたり、メンバーのそれぞれの良さを引き出したりする人も必要じゃないですか。自分が憧れる人、自分がこうなりたいという人、そういう人がチームの中にいたら、一緒にやっていたら、がんばれそうじゃないですか。だから、ダルとか、翔平とかに来てもらいました。そうすれば僕がどうのこうのしなくても、みんなやる気になる。なおかつそういう人たちが集まると、自分のこともやるけれども、この若い選手のために自分がアドバイスしたら活躍できそうかな?というようになりますよね。そういう雰囲気が自然に生まれてほしいと思って、チームを作っていきました。
ダルビッシュとか鈴木誠也とか、アメリカでプレーしている選手は、魂はすごく持っているけれども、WBCに参加しづらい雰囲気というのを感じていました。でも、何とか頼みたいと思っていて、2022年の9月にダルに言ったのは、「いろんな事情はわかる。でも、あなたと野球やりたい選手が日本中にいっぱいいるんだ。もし、あなたの経験を日本の若い子たちに伝えてくれると12球団に広まって、子どもたちに伝わるので、日本の将来のためになるんだ。これはあなたの問題じゃないんだ。そのことだけは考えてくれないか。」と懇願しました。ダルビッシュは練習のしかた、ボールの投げ方、食事のしかたなど、ありとあらゆることを研究し「野球博士」と言われています。お互いわかりあっているので、そのことだけを投げかけて僕は帰ってきました。
鈴木誠也もそうですね。誠也もオリンピックで4番を打って、「チームのために」というのはある。でも、メジャーリーグ1年目のときに、キャンプでけがをして思うような成績が挙げられなかった。来年こそはという思いがある。そのことはわかったので、誠也にも同じようなことを話しました。決断は自分でしてくれ、どちらの決断でもこちらは理解できるので、と伝えました。
ダルビッシュ選手の決断
実のところ、最終的に、ダルビッシュが何で事情をひっくり返して日本代表に来てくれたのかは、僕はいまだにわからないです。いろいろ言われていますけれども、本当のところはわからないです。
メジャーリーガーは練習試合に参加することができないので、アメリカの試合に出て調整ができてからチームに参加するかたちになりました。ところが、ダルビッシュは「監督、勝つチーム作るのに、最初から僕行ったほうがいいですよね?」と言うんですよ。もちろん来てくれたほうがいいんです。でも、練習試合には出られない。
普通は、試合で調整しないと公式戦に出るのは無理なんです。急に出力上がるとけがをしてしまうので、ある程度試合に出て出力が上がりきってから臨みます。
「本当に練習試合もできない。調整できないよ。」と言ったら、「大丈夫です。なんとかしますから。」と言うんです。かっこいいですよね。すごいピッチャーだなって改めて思います。
「チーム一人ひとりが野球日本代表そのもの」という理念
僕は、キャプテンを決めませんでした。
よく「チームをひとつにまとめる」とか言いますけど、これだけ人がいたら無理です。例えば「優勝しよう」というような、みんなでここに行こうよ、というシンプルな目標だけ掲げて、みんながそこに向きさえすれば、いろんなやり方があっていいと思うんです。それをやってもらうためにキャプテンを決めなかった。
代わりに、理念、方向性を伝えるためにチームの一人ひとりに手紙を書きました。
(村上選手宛ての手紙の画像を見せて)
「村上宗隆の姿こそが日本野球そのものです。」
これが伝えたかった。
普通は「日本代表チーム=日本野球」という感じではないですか。そうではない。みんな一人ひとり「あなた=日本代表」。あなたが「NHK学園そのものなんです」というふうに思ったら、ちょっとやり方が違ってくるではないですか。
例えば、高校生のみんなはよくわからないかもしれないけれども、他人の作った会社の社員だったら、効果は別として、経費があるだけ使いたくなるじゃないですか。でも、自分の会社だったら、本当にこのお金に効果があるのか、すごく丁寧に使っていきますよね。それと一緒なんですよ。
自分が野球日本代表そのものだとしたら、普段からの生活、練習のしかた、試合での姿…すべて24時間365日全員が見ているとすると、絶対に姿が違います。覚悟しているし、そのために一生懸命にやれる。それぐらいの気持ちで戦ってほしい。それくらい日本代表というのは意味があるんですよ、と選手たちに伝えたんです。
若い人たちのために尽くしてくれたダルビッシュ選手
それでも、中心になってくれる人が必要だったりしますよね。
日本代表の最初の休みのときでした。マネージャーが「監督、ダルビッシュがスワンボート動かしてって言ってます。」「そこまで言うならホテルに頼んで動かしてやれよ。」と言って、ダルビッシュが湖によくあるスワンボートに一人で乗りに行くんです。で、ダルビッシュが行ったら、若い選手がみんな行って遊んでるんです。
何かものを伝えるときって、一緒に遊んだりとか、一緒に食事したりとか、何か一緒にやると伝えたいことが伝わったりするじゃないですか。そのときは2月で、まだコロナで制限されている時期だったので、選手の食事会場も全員が壁を向いて、一人ひとりが離れた席になっていました。ダルが「あれでは選手同士の会話が成り立たないから、大きなテーブルにみんな座れるようにしてくれ。」と言うんです。
こういう突き抜けた選手が、そこまで若い人たちのために、何とか伝えようとしてくれる。でも、場所がないと伝わらないと教えてくれました。彼は、そこまで若い人たちのために尽くしてくれました。ダルビッシュは、調整もできないし、自分の思ったような練習もできないので、はっきり言いますけど、大会中一番調子の悪いピッチャーってダルだったんです。
(3人の選手とダルビッシュの写る映像を見せて)
このダルビッシュの写真は決勝戦の直前。
自分の調子が悪い、なおかつ自分が投げると決めている決勝戦の前。データルームです。
日本代表の7人の投手のうちの3人、1イニングずつ投げる選手たちを相手に、ダルが普段からやっているアメリカのバッターですから、「このバッターはこういうところに投げるとおさえられる」というのを説明している写真です。たまたまマネージャーが撮って「監督、ダル、こんな感じです」って送ってきてくれたのが残っていました。
自分の好きなことをやっていくけれども、どこかでだれかのためにやれる。みなさんもいつか気が付くと思いますけれども、人間って「だれかのためにやれる」ってすごくうれしいんですよ。「頑張っててよかったな」と思える瞬間です。将来、そんなところまで行けると、みんなが助かるし、みんなが頑張れるようになる、というそんな例です。
嫌なことを決める監督の仕事 <その1> 源田壮亮選手の場合
今回、WBCの短い期間に選手が2人、大けがをしました。
1人は源田壮亮選手。大事な韓国戦で小指を骨折して、試合中にわかりました。
6月にライブ映像の「憧れを超えた侍たち」https://www.japan-baseball.jp/jp/movie/2023/という映画が公開されるんですけれども、その中で、骨折して源ちゃんが帰ってきたときの壮絶な映像が出ています。
監督ってそういうとき、すごく悩みます。骨折した選手を、心情的には一緒にやってきた仲間なので残してあげたいという思い。一方で試合に勝つための判断をしなければならない。全員が反対しても、勝つためだったら、僕はやらなければいけない。さっき言ったように「嫌なことを決める係」なので。そのことを夜ずっと考えていました。
もう一回病院に行ってきちんと検査した結果、骨折という診断で、どうしてあげたらいいのか、すごく悩みました。
自分で言うのも変ですけど、タイプ的には情に流されやすいタイプです。でも、今回は、さすがに日本代表なので、「勝たせなきゃいけない」ということがものすごく大きいんです。
どうしたものかとずっと悩んでいたら、僕の信頼している内野守備コーチから電話があって、源ちゃんの様子を説明するんですよ。いろいろ説明するんだけれども、明らかに、そのことばの裏に<監督、源ちゃん絶対残してくださいよ。代えたら怒りますよ。>という思いが見えます。周りの人たちは、そこまで言うと僕が迷うと思うので口に出しては言わないんですね。「わかった。もう言いたいことはわかった。」と電話を切ったら、今度は僕の信頼しているマネージャーからも電話があって「監督、今源ちゃんと話してたんですけれども…」と。
<残しましょう、監督。>って言いたいのもわかるんだけれども、それくらい源ちゃんの魂がみんなに伝わっているというのはわかりました。
その時の診断は全治3か月。次の日、所属球団である西武ライオンズに話をしました。
実は、ゼネラルマネージャーが「監督、状況聞きました。源ちゃんがもしも出たいって言ったら、源ちゃんの言う通りにしてやってください。」と言ってくれていたんです。本人が普段一生懸命やっているので、周りの人間が、それくらい「彼のために何とかしてあげたい」と思うような空気を作っていたというのがすごい、と、そのことを受け止めました。
で、僕は直接、源ちゃんと向き合いました。いろんな状況を考えたうえで、
「源ちゃん、痛い?」と聞いたら、「全然痛くないですよ。」
「でも、寝るときにジンジンしたりとか…」「全然ジンジンしないですね。」
「でも、体温まったらちょっと気になるとか…」「いや、全く気にならないんですよ。」
…すごく気になっている感じですよね。
僕も経験ありますけれども、小さいところの骨折のほうが大きなところよりも痛かったりするんですよ。「『痛い』って言ってたまるか、絶対日本代表のためにやる」という気持ちを痛いほど感じました。
多分、みんなもそういう場面にどこかで当たると思います。野球やスポーツに限らず、「ここはがんばり切ったほうがいいのか、それとも体のためにやめたほうがいいのか」というのが問われる瞬間というのがあると思います。
僕は源ちゃんに正直に聞きました。「僕は10年間日本ハムファイターズでやってきて、こういう困ったときに強い選手を作りたかった。でも、なかなかできなかった。なんでそこまで強くいられるの?」
そのとき源ちゃんは、ぐわっと涙を流して、「僕は今まで大好きな野球で何とか日本代表になりたいと思ってやってきて、何回も選ばれました。オリンピックもメンバーに入っていた。でも、ずっと試合に出ていたわけじゃないんですよ。今回は、そのチャンスだ。オフからその準備もしてきたし、今回は絶対やり切るんだって嫁とも話して来たんです。大丈夫です。やらせてください。」って。そんな話をしたんです。
自分がこうなりたいとか、こうしたいと自分が本当に思っていたら、たぶん乗り越えられるものが大きくて、他人も関係ないし、周りの人が言うことも関係ないし、状況も関係ないと思います。ぜひ、自分が困ったときに思い出してください。
僕はその時に、「絶対、源ちゃんとやったほうが世界一に近づけるんだ」と思いました。その魂は他の選手たちにも伝わっているので、帰してしまうよりも絶対に源ちゃんとやるべきだって確信して、「わかった、源ちゃん。やるよ。その代わり、けがのことは忘れるよ。それでいいね?」と言いました。同じ使い方をするよ、というこれは彼に対する誠意です。
嫌なことを決める監督の仕事 <その2> 栗林良吏選手の場合
もう一つ、苦しかったのが、同じ時期に、広島カープの栗林良吏というピッチャーが、ストレッチ中にぎっくり腰になってしまったこと。やったその日は後ろから見ていても歩くのがやっと。本当に悪いんだろうな、というのが見えていました。
ピッチャーなので、どこかが悪いと肩に来て、野球選手としての一生を棒に振る可能性がある。源ちゃんの場合は、全治3か月でした。「やって大丈夫?」と聞くと、「監督、これで西武に帰っても何か月も野球できないんですよ。だから今やらせてください。」って言うんです。それもすごいな、と思って聞いていましたけれども、栗林選手の場合は、その期間だけではなく、ピッチャーとして野球人生が終わる可能性があるので、絶対帰すべきだと思っていたんです。
広島カープのトレーナーの復帰メニューなどを見ていても、僕の感覚としては、このメニューでは無理だというか、させるとけがをする可能性が高いと感じたので、ある程度判断をしていました。
僕は広島カープの偉い方に直接電話しました。嫌なことはやはり自分でやらないといけないので、電話して話をして、「すみませんでした。こういう状況で、多分、チームに帰ったほうが彼のためになるので。」という話をしたら、
「監督の言っていることはわかった。一つだけ、栗林の思いをかなえさせてやる方法があるんだったら、彼の思いをかなえさせてくれないかな。」
と言われたんですよね。
普通、プロ野球のチームは、代表よりもチームの開幕のほうが大事なので、「早く選手を返してくれ」という雰囲気があるものです。でも、そのときは、栗林が頑張ったこともあるんだろうなと思いながら、その方の、自分のチームの一人ひとりの人を大切にするところに感動しました。
ただ、ここが難しいところで、残すことのほうが簡単です。ところが僕は栗林選手の将来のために返さなければいけない、という判断をしたんです。そこまで言ってもらっても、チームに返さなければいけないと思っている。なので、「わかりました。ただ、最後は僕に判断させてください。」と言って電話を切ったんです。
仮に良くても、投げるのが中14日でアメリカで登板。普通のピッチャーで投げるのは中6日から7日ぐらい。やはり、間が空きすぎると良くないんですね。普通の春先のピッチャーの調整でありえないです。感覚とか、やはり壊れてしまうということがあって。
電話を切ったあと、すぐに栗林を呼びましたが、そのときは源ちゃんのように話はしませんでした。どんな理由があろうとも絶対に帰すと自分の中で決めているので、話を聞いてしまうと、やはり人間なので揺れてしまう。こちらの決断が揺れると、本人も納得いかなくなってしまうので、僕は、
「悪い、栗。これで帰ってもらいます。代表から離れます。俺の感覚的には、これで投げたら絶対けがをするので、一回立て直したほうがいい。将来もあるので、次のWBC日本代表のためにもなんとかしてくれ。」
と伝えました。その瞬間、栗林も泣くのを我慢しているという感じでした。でも、絶対毅然としているんだ、という表情の中で彼が言ったのは、「ご迷惑かけました。」
自分が一番、「残してくれ、やらせてくれ」と言いたいところなのに、きちんと謝って部屋を出ていきました。そこに彼の魂を感じました。これが、僕が思っていた嫌なことの代表かな、と思います。
嫌なことがあったときに、早めに自分で処理したほうが物事は処理がしやすいので、そのときは嫌な思いをしますけれども、そのほうが絶対に人間関係もつながります。みんなの世代は友だち関係がうまくいかなくなったりとか、いろいろあるんだけれども、ちょっとおかしいなと思ったら早めにぶつかってしまったほうが、多分解決しやすいということなのだと思います。
栗山さんのお話はまだまだ続きます。後編では大谷翔平選手のお話も!