暮らしと言の葉(8)

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2023.01.16

「暮らしと言の葉」コラム第8弾です。アクティブで知的好奇心いっぱいの美衣さん。今回は、可愛らしい赤ちゃんとの姪御さんとのコミュニケーションのお話しです。

言葉のはじまり

久しぶりに帰省をして、妹の子、つまりわたしにとっては姪に会った。生後二ヶ月半。ほやほやの赤ちゃんだ。わたしには三人の子どもがいるし、仕事では毎日赤ちゃんと会う機会があるのだけれど、それでも赤ちゃんというものの特別な感じにはいつも新鮮に驚く。姪は、よく笑い、よく泣き、よくお話をする。 

 言葉には二つの役割があると思う。ひとつは、他者とのコミュニケーションツール。もう一つは思考のための道具。ものや動作、感情に名前を与えて、人は他者とより深く高度な関係性を持つ努力をしてきた。二ヶ月半の赤ちゃんが懸命に喃語で話す様子を見ていたら、他者と関係を築きたいという根源的な欲求を見たように思った。赤ちゃんの言葉には辞書のように対応する意味があるのではないけれど、そこには言葉のひとつの役割であるコミュニケーションツールとしての原初の役割を見たと感じた。

 喃語から幼児語、そして母語を獲得し、人はより高度で複雑な言葉の使い手になるはずだが、それに比例して他者と深く親密な関係を結べるようになっているか、というとそうとは限らない。意味を持つ言葉をいかに多く、複雑に駆使しても、言葉の根源的な力はそこにはないのだろう。では言葉の本質は何かを考えると、それは声、その人、生そのものであるとなんとも壮大なことのように思えてしまうのだ。

 

なんどでもなんどでも笑ふyou make me happyとなんどでもわれが歌へば

大松達知『ゆりかごのうた』

 

 

斎藤美衣(さいとうみえ)

1976年広島県生まれ。
歌人/ベビー用品の会社経営
「コスモス短歌会」、「COCOONの会」に所属。
子どもの頃から、言葉と本が好き。
NHK学園の短歌講座も受講中。

休日は一人で本屋に出かけるのが至福の時間。