永田和宏ー歌の中に時を刻む(第2回)

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2023.07.01

人はみな馴れぬ齢を生きている

何歳のときに歌に出会うかは、人によってまったくの偶然でしょうが、その後の作歌活動に大きな意味を持っているように思います。もっと早い時期に歌に出会えていたら、といった無念の思いを訴えられることがよくあります。

 

人はみな馴れぬ齢を生きているユリカモメ飛ぶまるき曇天              永田 紅 『日輪』 

 

この作者は小学校の終わりごろから歌を作ってきましたが、二十歳になったときに、こんな歌を作りました。

 

「人はみな馴れぬ齢を生きている」。

永田紅は私の娘ですが、このフレーズにはかなり驚きました。第一歌集『日輪』の冒頭歌です。この若さで、自分が一年ごとに歳を取っていくのを、「人はみな」と一般化しつつ、いくつになっても、その一年はまだ「馴れぬ齢」なのだと詠っている。

 

そう、私たちは何歳になろうとも、その歳はまだ一度も経験したことのない「馴れぬ歳」なのです。だからこそ、その毎年の時間がおもしろく、まだ見ぬ時間への期待が膨らむのでしょう。若い時代には特に、自分にはどのような明日が待っているのかへの期待が夢となって広がっていた筈です。

しかし、そのような開ける明日への期待は、決して若いときだけのものではない筈です。この作者が言うごとく「人はみな馴れぬ齢を生きている」のですから、誰にとっても、現在という一つの時間は貴重であり、おもしろい。

しかし、そんなおもしろい、期待に満ちた時間は、すぐに過去として忘れ去られていく運命にあります。去年の今日、何があったか、自分がどんな精神状態にあったかなどは、ほとんどの人は覚えていない。

 

永田紅は、この一首を作った同じころに、新聞のインタビューで「歌を作ることは、時間に錘をつけることだ」という意味のことを発言しています。一首を作ることによって、その時間が、その他大勢の忘れ去られていく時間とはちがった、特別なものとして自分の人生の時間のなかに定着していく。

 

 

時間が、歌を作らないで漠然と記憶の彼方に消えていく人と、歌を作ることによって、その特別な時間を持ち続けることのできる人。その差は歴然としています。歌をお作りなさいとお勧めする理由です。

永田 和宏(ながた かずひろ)NHK学園短歌講座監修
昭和二十二年滋賀県出身。
歌人・「塔」選者・歌会始選者・「朝日歌壇」選者。
京都大学名誉教授/JT生命誌研究館館長。

歌集『饗庭』『風位』『夏・二〇一〇』『置行堀』など。歌書『あの胸が岬のように遠かった』『新版作歌のヒント』『近代秀歌』『現代秀歌』『知の体力』ほか多数