【ようおいでたなもし】松山俳句通信 第46号

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2025.01.16

46回目となる「松山俳句通信」。俳句の都松山市・伊予吟会宵嵐さんからいただきました!

愚陀仏庵 再建

松山市のホームページを見ると、観光ガイドの項目の中に「三庵めぐり」という案内があります。
古い順に紹介すると、江戸時代の庚申庵(栗田樗堂)、明治時代の愚陀仏庵(ぐだぶつあん)跡地(夏目漱石、正岡子規)、昭和の一草庵(種田山頭火)の三庵です。
加えて、近年では夏井いつきさんの伊月庵を加えて四庵ではないか、との意見も周辺からは出ているとか。
この中で、愚陀仏庵だけは建物がなく、跡地という標記になっているのを惜しむ声が根強くありました。

愚陀仏庵は、旧制松山中学校(現在の松山東高校)の教師として赴任した夏目漱石の下宿であり、明治28年には正岡子規が52日間転がり込んでいたというエピソードのある場所です。
子規を加えて俳句結社「松風会」の句会が開かれ、後の漱石の文筆活動に大いに影響を与えたという説もあります。
戦災で焼失しましたが、1982年に愛媛県が場所を変えて二階建てを復元。ところが、2010年の豪雨災害で土砂崩れによりこの建物も崩壊し、現在に至っています。

そんな中、2024年の年の瀬に、この愚陀仏庵を再建するという明るいニュースが入ってきました。
場所は子規の母校にあたる番町小学校の敷地内のプール跡地。
漱石の小説「坊っちゃん」の発表120周年に合わせて、2026年の夏ごろの完成予定だそうです。
我が家の娘もお世話になった番町小学校、そんな身近な場所に愚陀仏庵が再建されるのは嬉しい限りです。

近所なので、元々愚陀仏庵が建っていた場所に行ってみました。
現在は民間企業の所有で駐車場として活用されており、道端には「夏目漱石假寓愚陀仏庵址」の石碑が残っています。
松山の市街地のど真ん中であり、コインパーキングとしての需要もあるのでしょう。
県庁にも繁華街にも勤務先だった松山中学にも至近の場所です。
漱石が下宿していたのは、利便性の高い場所だったことが窺えます。
そこから、新愚陀仏庵建設予定地の番町小学校へは西へ徒歩二分ほどの距離でした。

この小学校は、1872(明治5)年に設立された巽学校、勝山学校、智環学校が、1885(明治18)年に勝山学校に統合されたのが発祥だそうです。
1867年生まれの子規は統合前の勝山学校を経て松山中学に進みました。
校門を入ると、しゃがんで草鞋の紐を結ぶ「子規旅たちの像」があります。
そして、そのすぐ横には句碑が。

國なまり故郷千里の風かをる 子規

この学校の著名なOBとしては、子規の他に秋山真之が挙げられます。
俳人では高浜虚子・河東碧梧桐・柳原極堂・・・凄い面々ですね。
ちなみに、庵が新築されるプールは校庭の南端にありますので要チェックです。

松山市長からは「茶会や句会も企画し、全国から俳句好きの人々が集う場所になってほしい」とのコメントが寄せられています。今から楽しみですね。