歌人でNHK学園短歌講座講師、そして「子規庵」理事長と八面六臂に活躍されている、さいとうなおこさんからのコラム第4弾をお届けします。
愉快な話
一・ 一寸マッチを貸してくれ 今出すからマッチ給へ
一・ 小刀かさないか そんな者はナイフ、ナイフ
一・ けふボールを打たうと思つたのに、これでは雨天ねへ
一・ 君ァけふは舟漕ぎにいかんのか ふねッしんな
一・ きのふあんまり舟を漕いだら けふはなんだかボートしてゐる
この駄洒落風なのは、「筆任勢(ふでまかせ)」という子規さんの初期随筆にある「一口話し」です。
三十七もあるので、短いのを引きました。野球だけでなく、ボートも漕いで青春を謳歌していた若々しい横顔が見えるようです。
十七歳から二十五歳までの溌剌(はつらつ)とした子規を体験したい方は、『子規全集』の第十巻を図書館で借りて堪能するか、『筆まかせ抄』(岩波文庫)で眺めるか、ぜひ、どちらかを。
内容はタイトルの通りです。見たこと、聞いたこと、体験したこと、考えたこと、何でもありで、頭に湧いてくるもろもろを筆で掬い取り、勢いよく言葉にしています。

明治32年12月24日 蕪村忌句会
愉快とよばしむる者ただ一ッあり。ベース、ボールなり
明治二十一年にはこう書きました。先日のワールド・ベースボール・クラシックの日本の優勝を見せてあげたい!この「愉快」という言葉が、子規さんの生き方を感じ取るキーワードであることは間違いありません。
〇毎週水曜日及日曜日を我庵(わがいほ)の面会日と定め置く。何人(なんびと)にても話しのある人は来訪されたし。(略)話の種は雅俗を問はず何にても話されたし。
『病牀六尺』明治35・7・28
痛み止めのモルヒネを常用する日々。亡くなる四十三日前の新聞に書いたのは、珍しい話を枕辺に持って来て!というお願い文です。
『筆まかせ』から十二年、最晩年の「愉快」は大勢の仲間たちからもたらされた話でした。
※
今回でコラムは終わりなので、子規さんと同じく「愉快な話」をします。
今、子規庵は苦しかった三年の時間を経てようやく五月の土、日の再開に向けて準備を始めました。ホームページ等で確かめてからお越し下さい。
これからは人々が集う愉快なイベントも行うう予定です。例えば、明治三十二年の蕪村忌句会に四十六人もの人が集ったわけですが、本当に小さな子規庵に全員収まったのだろうか、という疑問を実証してみる、とか。愉しい集いを皆さんもご一緒に考えてみて下さい。

さいとうなおこ
歌人・「子規庵」理事長・NHK学園短歌講座講師
1943年、朝鮮生まれ。45年、馬山より博多港へ引き揚げる。京都、福岡県、大阪府を経て、埼玉県所沢市へ。73年、「未来短歌会」に入会。近藤芳美に師事。NHK学園短歌講座専任講師として、開講より長く講座運営に携わる。現在、歌誌「未来」選者、一般財団法人子規庵保存会理事長。