【俳句コラム】子規庵より(3)

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2023.02.08

歌人でNHK学園短歌講座講師、そして「子規庵」理事長と八面六臂に活躍されている、さいとうなおこさんからのコラム第3弾をお届けします。

正岡子規の顔

 赤ン坊の時はそりゃ丸い顔てて、丸い顔ててよっぽど見苦しい顔でございました。鼻が低い低い妙な顔で、ようまアこの頃のように高くなったものじゃと思います。十八位からようよう人並の顔になったので、ほんとに見苦しうございました。大人になってあれほど顔の変った者もありますまい。
       『子規を語る』河東碧梧桐著

 

 鼻の低い妙な顔の赤ン坊が、大人になってから顔が変った、と話しているのは母の八重さんです。聞き手が子規の弟分の碧梧桐なので、後年思い出話に花が咲いたのでしょう。

 では、私たちが今頭に浮かべる正岡子規の顔は「人並」でしょうか。いや、恐い顔だよ、と思うのは、坊主頭に鋭い目つき、鼻下と顎にひげのある横顔の写真が「子規の顔」として有名だからでしょう。一見年齢不詳で、まさか三十三歳の若さだと誰も思いません。

 しかし、子規を知る人はみな実物とは大きく異なると言っています。ですから、八重さんは、大人になって好い顔になったわが子にほっとしていたわけです。当時の友人や門人の見た子規の顔の特徴は、「色白で、鼻が高く、唇が赤い」「切れ長の目の間隔が離れていて額が広い」等です。穏和な上品な顔であったという証言もあります。

正岡子規写真 明治33年12月24日(松山市立子規記念博物館提供)

正岡子規写真 明治33年12月24日(松山市立子規記念博物館提供)

 あらあら、どういう事?と思いますが、穏和な顔を想像させるスケッチが残っています。描いたのは洋画家の浅井忠。当時、根岸の住人でした。美術に造詣の深い子規が「先生」と呼んで尊敬し、慕っていた人物です。自分の知る子規の横顔を残しておきたいと浅井忠は思ったのでしょうか。制作年月日は不明です。

子規庵ポスター子規の顔2015より(根岸・子規庵より画像提供)

子規庵ポスター子規の顔2015より(根岸・子規庵より画像提供)

 明治三十三年十二月二十四日、根岸の写真師、春光堂の納屋美算が奥の八畳間に子規愛用の椅子を置いて撮った写真は、二枚あったと『子規全集』の月報にあります。一枚は暗い方へ、もう一枚は明るい方へ向いて撮影したと。現在見る写真は子規が選んだ暗い方の一枚だそうです。ならば、あの迫力のある顔は、子規が私たちに残したメッセージなのかもしれません。

 

 

さいとうなおこ
歌人・「子規庵」理事長・
NHK学園短歌講座講師

1943年、朝鮮生まれ。45年、馬山より博多港へ引き揚げる。京都、福岡県、大阪府を経て、埼玉県所沢市へ。73年、「未来短歌会」に入会。近藤芳美に師事。NHK学園短歌講座専任講師として、開講より長く講座運営に携わる。現在、歌誌「未来」選者、一般財団法人子規庵保存会理事長。