飯田秀實「山廬の四季ー秋」

  • コラム
  • 俳句

2022.09.13

 

NHK学園俳句講座創設監修の俳人飯田龍太、そしてその父の蛇笏の居宅である山廬を守る山廬当主、飯田龍太の長男の飯田秀實さん。このたび、随筆・写真集『山廬の四季ー蛇笏・龍太・秀實の飯田家三代の暮らしと生活』を出版されました。美しい山廬、俳句とあわせてご紹介します。

山廬の月

 

 今年(2015年)の中秋の名月は9月27日になる。山廬は山あいの標高380メートルのところにある。母屋は江戸時代後期の建築であり、建設当時は茅と藁の草葺屋根だったと聞いている。草葺は風に弱い。自ずと風を避けるため、狐川沿いに民家は建てられた。少しばかり日当たりが悪くなるが、風の方が恐ろしかったのだろう。この強い風は東西に吹くことが多い。昭和50年ころまでは山廬の東西の家は、お互いの棟を一列にしたように建てられていた。

 そして狐川越に北東側は蛇笏、龍太が「後山」と称し、散策した小高い丘が屏風のように迫っている。
この後山から満月が、「ぬっ」と姿を見せる。後山が迫っているために、山廬での月の出は、地平から出る黄土色の月ではない。すでにだいぶ天空に上がった月のため、白く明るさを増している。

この月が、何の前触れもなく、まさに「突然」木立ちから姿を現すから、「はっ」とする。

 

後山で切り取った芒を玄関の間の式台前に飾る。

 収穫したばかりの芋なども飾る。以前は母屋と新座敷をつなぐ東側の廊下に飾ったが、いつしか式台のところに飾るようになった。

確かに「名月を愛でる」という景にはなったが、式台から月を愛でるためには、月の出からだいぶ時間が経過しなければならないのは少々残念である。しかし、月のひかりに照らされた松の枝や幹を眺めるのは悪くない。
いつだったか、友人を招いて「観月会」を催したことがある。竹林から切った竹で「行灯」を作り、松の下において月を眺めた。月光に照らし出された山廬の大屋根も幻想的だった。

 

 

たちいでゝ秋月仰ぐ山廬かな  蛇笏

 

満月のなまなまのぼる天の壁  龍太

 


今年の中秋はどんな月が見られるだろうか。(2015.9)


飯田秀實 
随筆・写真集「山廬の四季」より

 

山廬

山廬

飯田秀實 随筆・写真集 「山廬の四季」(コールサック社)

飯田秀實 随筆・写真集 「山廬の四季」(コールサック社)

プロフィール

飯田 秀實氏
1952年 山梨県東八代郡境川村小黒坂に飯田龍太の長男として生まれる。
2014年 一般社団法人山廬文化振興会設立。
「雲母」創刊百年事業として「山廬俳諧堂」を復元。
現在、同法人理事長。