48回目となる「松山俳句通信」。伊予吟会宵嵐さんからいただきました!愛媛県伊予市の「谷上山」のお話です。
谷上山
天気の良い休日、思いついて伊予鉄郡中線に終点の郡中港駅まで乗車します。
そこからなだらかな裾野を歩いて登山口へ。この日の目的は、子供の頃に遠足で行ったことのある谷上山に、40数年ぶりに登ること。実は昨年もチャレンジしたのですが、あろうことか、登山口の看板を見誤って違う山に登ってしまったという笑えない結末でした。今年は満を持しての再挑戦です。

ふもとからの谷上山
駅から谷上山第二展望台までは約4km、車道をゆっくりと登っていきます。
途中には桜の木が多くシーズン中には花見客が多いのだとか。遠足で訪れたことがあるのでしょうか、展望台付近の景色には微かな記憶が残っています。そこから更に舗装された道を1kmほど登っていくと本格的な山道に入ります。その登り口にて偶然に句碑を発見。なんと子規の作品でした。

谷上山

子規の句碑
夏川を二つ渡りて田神山 子規
句碑の横の説明板には、「学生の頃、永田村(現在の松前町)の良友武市庫太を訪うたときの追想句。
明治29年(1896)の策で、句意は、清らかな夏川二つ(石手川と重信川か)を渡り、ふと見上げると、田神山(谷上山)の美しい姿が見える(以下、略)」このように記載されていました。調べてみると、句の前書きには「昔明治23年(1890)の夏、子規が松山に帰省しているとき、田舎の友を尋ねた際の景色を思い出し」とあり、当時の追憶を明治29年(1896)に句にしたものと思われます。明治23年は子規が東京帝国大学に入学した年で、明治29年は根岸の子規庵で療養中の時期でした。
句碑のある場所から山道に入り、急峻な登りの道を歩きながら考えます。松山市の中心部から登山口まで12km、当時の子規の健脚なら田神山まで歩けたかもしれません。ただし、記録上は、下から見上げて句にしたところまでであり、もし登っていたなら一句残っているかもしれないし、句碑として相応しかったのではないかと。すなわち、実際には登ってないのか、もしくは登ったけれど句が浮かばなかったのか、そのどちらかと愚考しました。

見晴らしの良い地点
さて、山頂近くの見晴らしの良い地点で松山市内と海を俯瞰します。やはり、子規は登ってないのだろうと私なりに結論を出しました。もし、登っていたなら必ず一句残したであろう絶景だったから・・・。
山頂で一休みして、往路と同様に郡中港から電車に乗ります。そして、二つの夏川が一つに交わる出会大橋を渡って松山に帰りました。明治23年から、たった6年で行動範囲が劇的に狭まった子規の望郷の思いを反芻しながら。
●伊予吟会 宵嵐さん
愛媛県松山市在住。NHK学園主催の松山市俳句大会でご縁があり、松山特派員として2019年より「松山俳句通信」の執筆を担当。俳句を通じて松山の魅力を発信しています。