Eテレ「NHK短歌」でも好成績の伊予吟宵嵐さんからいただきましたよ!44回目の「松山俳句通信」です。
ロシア兵墓地と波多野二美
松山市北部の丘陵地帯には地元松山大学の運動場やプールを擁する御幸キャンパスがあります。運動部の元気な声を背に丘を登っていくと、坂の右側にロシア兵墓地の看板が見えてきました。この地域の中学生の清掃ボランティアがメディアで取り上げられて、前々から存在を知ってはいましたが、訪れるのは今回が初めてです。
1904年、日露戦争開戦と時を同じくして、松山に全国初の捕虜収容所が設けられました。松山市のホームページによると、110数回に及ぶ捕虜輸送船により松山に収容された捕虜の数は、延べ6,000人に達したと言われ、多い時には4,000名を超える捕虜が松山にいたと言われています。この当時の日本政府は、外交上の理由から捕虜取扱いに最大限に配慮せざるをえず、ここ松山でもロシア人捕虜をかなり優遇したという記録が残っています。あまりにも収容環境が良いことから、ロシア兵が投降する際には「マツヤマ!(に収容してくれ)」と叫んだのだとか。
そのような時代背景の中、大半の兵士は母国に帰りましたが、負傷や病気を原因として百名近くのロシア人が松山で生涯を閉じました。その人たちを供養しているのが、今回訪れたロシア兵墓地という訳です。祖国を望むという意味あいからか、墓碑は全て北向きに建てられています。そして、その墓碑群の中央部に句碑があるのを見つけました。
永久眠る孝子さくらのそのほとり 波多野二美
波多野二美(ふみ)は松山在住の俳人で平成2年に95歳で亡くなるまでに沢山の作品を残しました。「ホトトギス」同人かつ松山玉藻会の代表として松山の俳壇で活躍した才媛です。ところで、この句に出てくる「孝子さくら」にもエピソードがありました。
所説ありますが、この地の老翁が病気にかかり、「もう桜の花を見ることもないだろう」と嘆いたことから、その子が庭の桜に祈ったところ、寒中の1月16日に咲いたことから十六日桜と呼ばれているとのこと。1月16日が奇しくも彼女の誕生日だったという事実も、この作品のアクセントになっていますし、十六日桜がロシア兵墓地のすぐ横にあったことを踏まえると、「永久眠る」が九十八柱のロシア人の墓にかかっていることが理解できます。没したロシア兵たちは十分な親孝行をすることもできず、結果として親に先立つ不孝を背負わざるを得なかったケースもあるでしょう。そのような景を思い浮かべ、改めて合掌して帰路につきました。
120年の時を経て、現在のロシアはウクライナと交戦中ですが、国家の都合により遠い外国で「永久眠る」同胞のことを、為政者は決して忘れてはならないと思います。