ようおいでたなもし 松山俳句通信【第42回】

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2023.12.18

皆さん、お待ちかねの「松山俳句通信」が届きました。今回は、松山市で官民連携のまちづくりの象徴となっている句碑とその周辺をご紹介します。

 

松山市の町づくり

 新婚当時に住んでいた賃貸マンションの辺りを散歩しました。天山という丘陵の北側に位置する静かな住宅街なのですが、そこから最寄りの福音寺駅に向かうには、土亀山という別の丘陵の脇を通過することになります。久しぶりにその道を通ってみたところ、子規の句碑が新しく建っていました。

 

 

凩にはひつくばるや土亀山   正岡子規

しくるるや右は亀山星が岡   正岡子規

松山市では官民連携のまちづくりを進めており、民間による美しい街並みの景観整備や、賑わいを創出する施設整備を支援しています。平成30年4月、この制度の補助金を活用して子規の句碑が建立されました。俳都松山には数えきれないほどの句碑が建っていますが、まだまだ新しい句碑が建てられ続けていることに驚きを禁じ得ません。

句碑の後ろの墓地をすり抜けて、土亀山に登ってみました。標高50.47メートルの頂上から北東には遠く淡路ヶ峠方面、そして手前には子規の句にも歌われた星が岡が見えます。そもそも地元では、天山・星岡山・土亀山をまとめて天山三山と呼んできました。土佐街道(国道33号線)から眺めると、まるで亀が這っているように見えたことから、土亀山(どかめやま)と名付けられたようです。松山市の資料によると、天山と土亀山は弥生時代の古墳と分類されており、句碑のある辺りは土亀山遺跡とよばれています。平成27年3月12日付けで包蔵地の範囲が修正され、該当する範囲で建築・土木工事等を行う場合は、文化財保護法に定める届出が必要なのだとか。

この句碑の少し下に仙波太郎陸軍中将の説明版を見つけました。この人は陸軍中将だけでなく衆議院議員としても活躍されたようです。そして驚くことに、司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」にも登場しており、秋山好古と陸軍大学校の同期だったとのこと。全く記憶が無かったので、家に帰ってから読み返してみました。【藤野老はいった。好古のほかに仙波太郎はどうかとも考えていたという。仙波も、旧松山藩出身の陸軍将校である。(中略)後年、陸軍中将となり、昭和四年に七十五歳で没。桂太郎、宇都宮太郎とともに陸軍の三太郎と呼ばれた。】(引用:坂の上の雲)
秋山好古のフランス留学のくだりで、確かに登場していますね。ウォーキングに端を発して、思いもよらない発見があった一日でした。