夏の暑さに負けない熱い男、伊予吟会・宵嵐さんから届きました「松山俳句通信」!今回は、暑さにも負けない「日切焼き」というお菓子のお話しです。

日切焼き
松山の市駅前に、作業工程を通行客に見せながら焼く日切焼きというお菓子があります。

窪みのある鉄板を回転させながら、生地に餡を乗せていく、そのプロセスをアクリル板の外から食い入るように見つめる子供たち。今も昔も変わらない光景です。
このお菓子は、大正初期に愛媛県松山市の中心市街地にある善勝寺境内にて誕生しました。

そこに安置されている「日切地蔵尊」の名前を貰ったとのことです。今でも店舗至近の寺領に日切地蔵は残っており、私も「日を切って」お願いをしておきました。年内にスリムな身体が手に入るはず(笑)

さて、この日切焼き。全国的には今川焼きという名前で認知されているのかもしれません。しかし、松山で生まれ育った私には日切焼きがすべて。成人して、日切焼きに似たお菓子が他の地域にあることを知り、俳句を始めてから、それらが季語であることを知りました。
季語である太鼓焼、巴焼、義士焼、今川焼、そして鯛焼は、頭の中で全て日切焼きに変換して作句するようにしています。日切焼も季語として歳時記に載せて欲しいと思っている松山人は私だけでは無いはず。。。

前へ進む眼して鯛焼三尾並ぶ 中村 草田男
松山出身の俳人の中で、大正を待たずして早逝した子規の口には入らなかったのですが、「明治は遠くなりにけり」と詠んだ草田男なら、一度は日切焼きを口にしたことがあるかもしれません。