伊予吟会 宵嵐さんから届きました、記念すべき第30号となる「松山俳句通信」。松山出身の神野紗希さんからも「毎回楽しみに読んでいます!」と嬉しいお声をいただいています。ちなみに、神野さんには明日12日(土)は、14時~オンライン講座「暦と暮らす」で、宇多喜代子さんとの対談をお願いしています。宵嵐さんもご受講予定です!
伊予の七曲り
「伊予の早まがり」という言葉があります。愛媛のドライバーはとにかく短気で、信号待ちの右折をロケットスタートで対向車より先に曲がってしまう、という交通マナーの悪さを揶揄したものですが、おそらく語源と思われるのが「伊予の七曲り」です。

その昔、松山城を築いた加藤嘉明が、北から敵軍の押し寄せた時に通りにくいように、更に、松山城から俯瞰して敵軍勢の実態を把握出来るように、街道をグネグネに曲げてしまったというのです。現在では道路の改修でその面影は残っていませんが、市内の(株)門屋組さんの横に七曲り跡の石碑が残っています。

折角なので検証してみることにしました。地域を歩いてみると、潮見公民館の地区案内板に「七曲跡」という記載がありました。因みに愛媛県行政資料(藩政期・明治期)絵図にも明確に七曲の痕跡が残っています。石碑の場所以外は特定出来ませんでしたが、昔から残る溜池の側には七曲の痕跡のような道が。あとは数百年の変動により消えてしまったようです。

そして近所の高崎公園には子規の句碑が。
永き日や菜種つたひの七曲り 子規

東京の晩年に松山の七曲りを懐かしんで詠んだものです。子規も同じように七曲りを歩いたのですね。最後に松山城に登り、加藤嘉明の気分で七曲りを俯瞰してみましたが、近代建築の林立により曲がり具合は確認出来ませんでした。
完全ではありませんが、子規と同じ道を歩いて、往時の城主の戦略的狙いを共有出来た一日でした。
