ようおいでたなもし 松山俳句通信【第19号】

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2020.05.29

今の季節、緑の美しい、俳都松山の伝道師 松山在住の伊予吟会 宵嵐(いよぎんかい よいらん)さんから、お便りが届きました!宵嵐さん、変わらずにお元気にお過ごしとのこと。今回は「東雲公園と中村草田男」のお話です。よろしくお願いします!

※「おいでたなもし」とは、松山市の方言で「いらっしゃい」の意味です。

 

 

東雲公園と中村草田男


松山城の東を散歩していると小さな公園に出くわします。子供たちが元気に遊ぶ片隅に立派な句碑があることに気づきました。

夕桜城の石崖裾濃なる

中村草田男

 

草田男といえば、高浜虚子に師事して数々の名句を残した俳人で、忌日は草田男忌という季語になっていることは、私から説明するまでもないでしょう。

 

略歴では中国で生まれ東京帝国大学を卒業と記載されていることもありますが、母方の祖父が松山藩久松家の重臣ということもあり、幼少期を松山で過ごしているのです。

東京の小学校に通いますが、中学からまた松山に戻り、夏目漱石や正岡子規で有名な松山中学を卒業しました。

 

この句は昭和9年に帰松した際の作品で、松山城を詠んだものです。裾濃(すそご)は衣服の染め方で上のほうが淡くて下のほうが濃くなる模様のことです。桜と夕闇の松山城の美しい景が目に浮かびますね。

この句碑は中村草田男主宰の俳誌「萬緑」の会員が、城山を仰ぐ絶好のポイントとして、この地に建立したそうです。

確かに振り返ると、マンションの向こうに松山城が望めます。

この東雲公園の名前の由来となっているのは、近所の東雲神社と推測されます。この神社は代々松山藩主を祀っており、松山藩由来の中村草田男の句碑があるのも頷けます。

実はこの公園はNHKの「ブラタモリ」で取り上げられたことがあります。道路と住宅のあいだに、2mほどの高低差があり、これは松山城の土塁の名残で、公園は堀を埋めた跡なのだそうです。道路の線形が古地図の土塁の線形と一致するなど、地元民でも知らない事実に吃驚しました。

歴史愛好家にも俳句愛好家にも訪れる価値のある場所といえるでしょう。