ようおいでたなもし 松山俳句通信【第17号】

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2020.03.05

春の訪れとともに、俳都松山の伝道師 松山在住の伊予吟会 宵嵐(いよぎんかい よいらん)さんから、お便りが届きました!今回はマンホールのお話ですって!?

宵嵐さん、よろしくお願いします!

※「おいでたなもし」とは、松山市の方言で「いらっしゃい」の意味です。

銀天街のマンホール

松山市の中心部をL字に結ぶ約600メートルのアーケード。松山市駅近辺から始まるこの商店街を銀天街と呼びます。

昭和28年10月にアーケードを建造したそうですが、屋根が銀色をしていたところから命名されたとも言われています。

 

この通りを進んでいくと、正岡子規のマンホールを踏みそうになり、初めて見たときは本当にびっくりしました。

昨年、松山市政施行130周年記念事業の一環として、下水道マンホール蓋のデザイン募集が行われ、その入賞作品がマンホールとなったのです。

こういったところも俳都松山らしい一面ではないでしょうか。

 

春の風呂吹・・・

さて、銀天街の入り口近くを歩いて進み、お茶の良い匂いが漂ってきたと思ったら、南側に突如庭が出現します。

ここは圓光寺という昔からある真宗大谷派の寺院で、市民の憩いの場として親しまれてきました。

ちなみに松山は明治22年に全国で39番目の市として誕生しましたが、当初の庁舎はここ圓光寺に事務所があったことから、松山市発祥の地とも呼ばれています。

 

そして、ここにも当然に句碑がありましたよ。

風呂吹を喰ひに浮世へ百年目

正岡子規

 

圓光寺の7代目住職の明月上人は名筆であり、正岡子規は明月の作品を高く評価していました。

明月上人の100年忌に盛大な句会を開催し、その報恩講の際にふるまっていた精進料理の風呂吹に親しみを感じて詠んだものだそうです。

なんだか久しぶりに風呂吹大根を食べたくなってきましたね。子規の足跡を追う中で外せないスポットだと思いませんか?