ようおいでたなもし 松山俳句通信【第14号】

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2019.12.27

俳都松山の伝道師 松山在住の伊予吟会 宵嵐(いよぎんかい よいらん)さんから、2019年最後のお便りが届きました!今年のラストを飾るのは「赤穂浪士」にまつわるエトセトラ・・・。
宵嵐さん、よろしくお願いします!

※「おいでたなもし」とは、松山市の方言で「いらっしゃい」の意味です。

討ち入り直前にも俳句!?

赤穂浪士といえば東京の泉岳寺が有名ですが、実は松山にも縁があることをご存知でしょぅか。

大石内蔵助良雄を含む47人は本懐を遂げたあと、いくつかの藩邸に分かれてお預けとなりましたが、10名が江戸の伊予松山藩の中屋敷で切腹しました。

その中に若干15歳だった大石主税や高田馬場の決闘で名を馳せた堀部安兵衛が含まれていたことはよく知られています。

松山市の興聖禅寺は介錯人である宮原久太夫頼安の菩提寺であり、その縁で木村岡右衛門貞行と大高源吾忠雄2士の遺髪が埋葬されました。

このお寺では毎年12月14日に義士祭が開催されています。

今年も商店街関係者に地元学生のブラスバンドが加わり、義士行列が松山市街地約2kmを練り歩きました。

討ち入り時の火事装束姿の行列は壮観で、遠く離れた松山の地においても往時が偲ばれます。

梅てのむ茶屋も有へし死出の山 大高源吾

大高源五の辞世の句が句碑になっています。彼は子葉という俳号をもっており、宝井其角に俳句を習ったという説もあります。

討ち入り直前に両国橋で偶然其角に会って、俳句で討ち入りを仄めかしたという伝承もありますが、実際はどうだったのでしょうか。

歌舞伎の『松浦の太鼓』はこの場面をベースにつくられたようです。松山にお越しの際には是非お墓参りを!