ようおいでたなもし 松山俳句通信【第12号】

  • コラム
  • 俳句

2019.11.21

俳都松山の伝道師 松山在住の伊予吟会 宵嵐(いよぎんかい よいらん)さんから、新着のお便りが届きました!今回は松山とは切っても切れない正岡子規のお話ですよ・・・。

※「おいでたなもし」とは、松山市の方言で「いらっしゃい」の意味です。

千秋寺にてぶらぶらと

伯母の法事で市内のお寺へ。

早く着いたので境内をぶらぶらしていると、子規の句碑と出逢います。

山本や寺ハ黄檗杉ハ秋
画をかきし僧今あらず寺の秋
正岡子規

山本とは、このお寺のある御幸寺山の麓のこと。寺はもちろん、この黄檗宗千秋寺のことです。

そして、「画をかきし僧」というのが、このお寺の周道和尚のことだそうです。

そもそも千秋寺とは、貞享4年(1687年)に中国の僧・即非(そくひ)が開いた黄檗宗の寺院です。地元の人もなかなか知らないスポットといって良いでしょう。

偶然訪れた名もなき山寺にも子規の句碑がある。それが松山なのですね。

法事を終えて、親族で近所のうどん屋さんへ。ここの壁面には子規の短歌が記されています。

足なへの病いゆとふ伊豫の湯に
飛びても行かな鷺にあらませば
正岡子規

「もし私が鷺だったら飛んで帰り、足の病を治したいのに。」

病床の子規の望郷の歌です。子規は晩年、足を患い、ほぼ病床にありました。

道後温泉には、足を傷つけた鷺が湯に足を浸しているうちに完治したという伝説が残っています。

そんなことを考えながら、松山名物鯛釜飯に舌鼓をうつ親戚一同でした。