ようおいでたなもし 松山俳句通信【第4号】

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2019.05.23

俳都松山を広めるべく疾走するアツい男🔥、松山在住の伊予吟会 宵嵐(いよぎんかい よいらん)さんの「ようおいでたなもし 松山俳句通信」の第4弾。今回は小林一茶も登場のようです・・・。宵嵐特派員、よろしくお願いします!

※「おいでたなもし」とは、松山市の方言で「いらっしゃい」の意味です。

 

あの一茶も松山に!

松山にゆかりの俳人といえば正岡子規を筆頭に、高浜虚子や河東碧梧桐、そして放浪の自由律俳人 種田山頭火などが挙げられます。
しかし、あの小林一茶が松山に来たことがあるという事実はあまり知られていません。

まず時代背景から整理してみましょう。
小林一茶は1763年生まれで江戸時代に活躍しました。正岡子規は1867年生まれですので明治時代に活躍したことになります。そして種田山頭火は1882年生まれですから、正岡子規と重なっているものの昭和まで生きながらえています。

松山の俳句の歴史は正岡子規によって全盛を迎えますが、古く江戸時代から綿々と続いていることが分かります。

~今日の一句 from 松山~

 

寝ころんで蝶泊らせる外湯(そとゆ)哉
小林一茶

俳人 小林一茶は1795年に、松山の俳人 栗田樗堂を訪ねて松山に来ました。その旅日記には、「同年2月1日に、道後温泉の辺りにてこの句が詠まれた」と記されています。
現在の道後温泉には外湯は存在しませんが、当時「馬の湯」と呼ばれていた露天風呂があったことが、古地図からわかっているそうです。

この句碑は道後の子規記念博物館の前にあります。もちろんHAIKU&WALKの対象ですので、詳しくは「HAIKU&WALK」ウェブサイトを御覧ください!