過去形と現在形ーあなたの色はセピア色?──NHK全国短歌大会 選者が明かす「時制」のコツ
昨日の出来事を歌にしようとして、「き」「けり」で終わらせるべきか、現在形のままでいいのか──迷ったことはありませんか。
入門書にもあまり書かれていないこの問題を、過去に実施したNHK学園のオンライン短歌講座「永田和宏&松村正直 現代短歌セミナー 作歌の現場から」よりご紹介します。
同講座は、短歌講座の監修者であり、第28回NHK全国短歌大会選者の永田和宏さんと、短歌友の会選者の松村正直さんが毎回ゲストの歌人を迎え、一つのテーマについて議論する講座です。
ゲストへの「4つの質問」(歌を始めたきっかけ、大切にしていること、選歌で重視すること、自戒していること)から始まり、3名がそれぞれ持ち寄った歌を鑑賞しながら、テーマを掘り下げていきます。
歌の作り方に「正解」は一つではないこと──多様な考え方があることを、プロの歌人同士の生きたやりとりから体感できます。
2023年10月開催された 本講座、ゲストは歌人で大会選者の小島ゆかりさん。テーマは「過去形と現在形」。
高村光太郎、斎藤茂吉、石川啄木、永田和宏、竹山広、前田康子、小島ゆかり、北辻一展、坪内稔典ら近現代の名歌10首を素材に、時制の使い分けをめぐる白熱した対話が繰り広げられました。
講座で飛び出した言葉の中から、すぐに作歌に活かせるヒントを3つに絞ってお届けします。時制の扱いひとつで、あなたの歌はもっと鮮やかになるかもしれません。「うまく詠めない」と悩んでいる方にこそ、読んでほしい内容です。

大会選者が語る── 作歌のポイント3つ
1. 時制を「正確に」合わせると、かえって歌が死ぬことがある
短歌を始めて少し経つと、「過去の出来事なら過去形で統一しなければ」という意識が芽生えてきます。松村さんも「短歌やる人は結構真面目だから、よく英語の時制の一致みたいに時制を合わせなきゃいけないってすごくやる人もいる」と指摘しますが、実はこの真面目さが歌を窮屈にしてしまうことがあるのだと、セミナーでは繰り返し語られました。
その象徴的な例が石川啄木の一首です。
馬鈴薯のうす紫の花に降る雨を思へり都の雨に
石川啄木『一握の砂』
松村さんは、この歌を「すごくテクニカルな歌」と評します。「花に降る」と現在形で読み始めた読者は、今まさに雨が降っている光景を思い浮かべますが、続く「雨を思へり」で「あれ、思い出していたのか」と気づく。さらに「都の雨に」で、作者が今いるのは東京であり、思い出しているのは遠い故郷の雨だったとわかる──現在と過去、東京と故郷が次々とスライドしていく構造です。
ここで永田さんが鋭い問いを投げかけます。
永田和宏さん:
「これを議論としてやるとね、正確に時制を合わせようとすると『うす紫の花に降りゐし雨を思へり』になるんだけど、これはね、正確だからそれでいいんだというのでは駄目で。読んでいくと、花に今降っているんだと思って読んでいたら『思へり』で過去のことになって──そういう構造のギャップ、ある種の段差を生み出すちょっとした驚きが、正確さを旨としてやると歌が失敗する。そういう例だと思いますね」
小島さんはさらに端的に言い切ります。

小島ゆかりさん:
「『うす紫の花に降りゐし』というふうにする人は詩人ではないです」
時制を機械的に合わせると、読みながら「あれ?」と驚く瞬間が消えてしまう。その驚きこそが歌の生命力だった──この指摘は、日頃「時制の一致」を気にしがちな方にとって、大きな気づきになるのではないでしょうか。もちろん、時制を正確に合わせた方がいい歌もあります。ただ、それが唯一の正解ではないと知っておくだけで、推敲の幅は確実に広がります。
2. あなたの歌、「セピア色」になっていませんか?
過去の出来事を詠む時、もう一つ陥りがちな罠があります。すべてを過去形で包んでしまうことで、歌全体が「セピア色の古い写真」のようになってしまうことです。松村さんは、こう表現しました。
松村正直さん:
「過去の出来事を詠む時に、セピア色の古い写真みたいな感じの、もう過去という感じの歌にするのではなくて、今の感覚で言うと、クリックしたら再生する動画みたいに──映像として再生して、今まさに起きていることのように再生できるような歌にするということが大事なのかなって自分の歌作りの中では思っています」
その好例として挙がったのが竹山広の一首です。
水のへに到り得し手をうち重ねいづれが先に死にし母と子
竹山広『とこしへの川』
長崎で原爆の被害にあった母と子が水辺にたどり着いて力尽きた光景を詠んだ歌。もし「寄り添うように死にし母と子」と歌えば、過去の1場面を報告しただけの歌になる。しかし竹山は「いづれが先に死にし」と問いを挟みました。

永田和宏さん:
「語法としてはもう完全に過去ですね。現在のことは何にも入っていない。ただ、『いづれが先に』というキーワードが入っていて──解けない謎として今でも作者の中にぐるぐる回っている。この1句があることで、それはもうグンと現在のところに引き寄せられるんだなと」
読者はこの歌を読むたびに「どちらが先だったのだろう」と考えざるを得ません。その瞬間、過去の出来事が映像のように頭の中で再生される。過去形か現在形かという語法の問題ではなく、歌の中に「問い」や「仕掛け」を置くことで、読者の現在に過去を引き寄せる。過去形ばかりが連続する連作で、読者の目が滑ってしまう──そんな悩みを抱えている方は、この「セピア色にしない」という視点を意識してみてください。
「同じ言葉」が過去と現在をつなぐ── 小島ゆかりさんの歌から
過去と現在をつなぐもう一つの手法として、セミナーではゲスト・小島ゆかりさんの歌も話題に上がりました。
かつて子が言ひし「自分でできるから」いまは老いたる母が言ふなり
小島ゆかり『雪麻呂』
子育ての最中、何でも手助けしようとする母に「自分でできるから」と子供が言った。歳月が流れた今、同じ言葉を口にしているのは老いた母の方。この歌について永田さんは、こう読み解きます。
永田和宏さん:
「過去と現在が同じ言葉で結ばれている。『自分でできるから』という一つの言葉を折り目にして、ちょうど紙を2つに折るように、過去と現在が出てくるところが、この歌の面白いところだなと」
一つのフレーズが時間を折りたたむ──セピア色にしない手法の、もう一つの形です。松村さんは、同じ言葉でも向かう方向が違うことに注目します。
松村正直さん:
「『自分でできるから』というセリフは同じなんだけど、お子さんの場合はできるようになって、これからずっとできるようになっていく。お母さんの場合は逆に今はできるけど、やがてできなくなっていくという方向性が違う。そこに非常に寂しさも感じる歌ですよね」
同じ言葉が、子供の口からは「成長」を、母の口からは「衰え」を語っている。過去形も現在形も使わず、たった一つのセリフの反復だけで時間の流れが浮かび上がる。日常の中で「あれ、同じことを前にも聞いたな」と感じた瞬間があったら、それはそのまま1首の種になるかもしれません。
3. マニュアルにはならない。でも「時間だけは嘘をつかない」
では結局、過去形と現在形はどう使い分ければいいのか。「こうすればOK」という公式がほしい──そう感じる方も多いと思います。松村さんも「結構皆さん、マニュアルとか公式をほしがる人も多いんだけど」と認めつつ、3人の結論は一致していました。「マニュアルにはならない」ということです。
小島ゆかりさん:
「歌は1首、1首生きているので、全体的にこうだよというマニュアルみたいなものは絶対ない。たくさん人の歌を読んだり、自分の歌をたくさん作ったりする、その体験による勘みたいなものが結構大きくなるし、それぞれの人で違うんですけども」
公式やルールがほしい気持ちはよくわかります。でも、歌は1首ごとに生きている。だからこそケースバイケースで考え続けるしかない──むしろ、その試行錯誤の中で読む力・作る力が育っていくのだと、小島さんの言葉は教えてくれます。
そのうえで永田さんは、一つだけ揺るがない指針を示してくれました。
永田和宏さん:
「歌で嘘をついてもいいけれど、時間だけは嘘はつかないで作りたい。歌っている現在の自分、この時間だけは嘘をついてはダメだろうという気がして──歌っているテンスは現在であっても過去であってもいい。けれど、歌っている現在の自分はこの1首なんだというところが揺らいでしまっては歌として成り立たない」
時制を自由に行き来してもいい。ただし、「今この歌を詠んでいる自分」という足場だけはしっかり踏みしめる。技法の前に、歌い手としての姿勢を問う言葉です。過去形か現在形かで迷った時、この言葉を思い出してみてください。テクニックの前に「今の自分はどう感じているのか」に立ち返ること。それが、時制に振り回されないための羅針盤になるはずです。
アーカイブ動画で、議論の全編をご覧いただけます
この記事では、セミナーで語られた内容の一部をご紹介しました。実際の動画では、高村光太郎「海にして太古の民のおどろきを……」や斎藤茂吉「たたかひは上海に起り居たりけり……」、坪内稔典「草を引く老後を夢にしていたが……」をはじめとする全10首について、3人の歌人がそれぞれの読みをぶつけ合う、濃密な約90分の議論を収録しています。
入門書では学べない「プロ歌人の思考回路」に触れられるのが、この講座の最大の魅力です。同じ歌を前にしても、永田さん、松村さん、小島さんで着眼点がまるで異なる。その差を目の当たりにすること自体が、ご自身の歌を見つめ直すきっかけになります。「自分ならどう読むだろう」と画面の前で考えながらご覧いただくと、鑑賞力と作歌力の両方が磨かれるはずです。お好きな時間に、繰り返しご視聴いただけるアーカイブ配信です。
投稿を受付中
今回のセミナーで語り合った永田和宏さん、小島ゆかりさんは、第28回NHK全国短歌大会の選者です。この記事やアーカイブ動画で得たヒントを活かして、ぜひ大会への投稿に挑戦してみませんか。
大会投稿にあたって永田さんは、「大切なのは『歌っている現在の自分』をしっかりと1首に込めること。完璧な歌でなくていい。今の自分にしか詠めない1首を、自分の言葉で送り届けてください。」
あなたの1首をお待ちしています。
投稿締切:2026年11月16日(月)必着