【ようおいでたなもし】松山俳句通信 第49号
秋の良い季節となりました。49回目となる「松山俳句通信」です。愛媛県松山市内にある「阿沼美神社」。小さな社が複数あり、そこに広がる景色を伊予吟会宵嵐さんが紐解いていきます。
阿沼美神社のカオス
松山市内を散歩している時、大きな楠木が目に入り、味酒町の阿沼美神社に足を踏み入れました。その楠木の手前には正岡子規の句碑を発見。後でゆっくり読むことにして、まずは参拝しましょう。
本殿のバックには大きなビルやマンションが散見され、松山にしては都会的な神社です。そんなことを考えながらお参りを済ませ、本殿に背を向けた瞬間に何か違和感が。本殿から見て左側に同じサイズかつ同じ形状の小さな社が三つあるのです。近づくと、手前から金刀比羅神社・味酒天満神社・勝山八幡神社と読み取れました。そして更に奥には形状の異なる伊豫(余)夷子神社という社も発見。念のため後ろを振り返ってみると、反対側にはなんと稲荷神社まで鎮座しているではありませんか。まさにカオスです。
物の本によると、ある場所に所在する神社が複数の社からなるとき、本社とは別にある規模の小さい神社のことを摂末社と呼ぶそうです。本社と同じ者に管理されていることが前提で、その中でも末社というのは、規模が小さくて本殿の祭神とは直接的な関係がない神様を祀る社なのです。
地域の守り神や、特定の願い事を叶える神様などが祀られているケースが多いようですね。それにしても、ここには末社が多いように思われます。
次に阿沼美神社自体についても調べてみました。
西暦927年にまとめられた延喜式神名帳には、「官社」に指定する神社一覧が記載されており、松山界隈では「伊予国温泉郡 阿沼美神社」の名がありました。しかしながら、当時の神社は早々に衰微して、歴史の中で所在が分からなくなったようです。
江戸時代には、松山市内の複数の神社が阿沼美神社を主張し、現在でもこちらを含め二か所あることが確認されています。神社の歴史と名前自体がカオスなのです。
また、愛媛県神社庁のHPによると、
①元々は勝山(現在の城山)に鎮座していた
②慶長年間に加藤嘉明の命で現在地に移遷された
③味酒神社と呼ばれていたこともある
④藩制時代は松山藩の崇敬社であった
などの歴史が見て取れます。長い歴史の中で、立ち退かざるをえなかった小さな社を、阿沼美神社が引き取ったのでしょうか。本殿も空襲で全焼していますから、戦争や区画整理も関係があるのかもしれません。
さて、入口近くの子規の句碑です。
現在の松山市は24万世帯ですから、人口が飛躍的に増えたことが見て取れます。ちなみに、その横には栗田樗堂の句碑、反対側には松山に直接縁のない松尾芭蕉の句碑もありました。やっぱりカオスですね。
●伊予吟会 宵嵐さん
愛媛県松山市在住。NHK学園主催の松山市俳句大会でご縁があり、松山特派員として2019年より「松山俳句通信」の執筆を担当。俳句を通じて松山の魅力を発信しています。