戦争、感染症、格差社会──。ニュースを見て「歌にしたい」と思ったのに、いざ詠もうとすると正論っぽくなったり、ただの感想になったり。社会詠の難しさに悩んだ経験はありませんか?
入門書にもあまり書かれていないこの問題を、過去に実施したNHK学園のオンライン短歌講座「永田和宏&松村正直 現代短歌セミナー 作歌の現場から」よりご紹介します。
大会選者だからこそ語れる「採りたくなる社会詠」のポイントを、セミナーの議論からぎゅっとお届けします。
同講座は、短歌講座の監修者であり、第28回NHK全国短歌大会選者の永田和宏さんと、短歌友の会選者の松村正直さんが毎回ゲストの歌人を迎え、一つのテーマについて議論する講座です。
ゲストへの「4つの質問」(歌を始めたきっかけ、大切にしていること、選歌で重視すること、自戒していること)から始まり、3名がそれぞれ持ち寄った歌を鑑賞しながら、テーマを掘り下げていきます。
歌の作り方に「正解」は一つではないこと──多様な考え方があることを、プロの歌人同士の生きたやりとりから体感できます。
2023年12月に開催された 本講座、ゲストは歌人で大会選者の栗木京子さん。テーマは「社会詠をどう詠むか 」。
与謝野晶子から現代の新聞歌壇投稿歌まで、全9首を題材にした白熱の議論が展開されました。この記事では、その中から選りすぐりのポイントと歌をご紹介します。
社会の出来事を歌にする意味とは何か。セミナー冒頭、永田さんはこう切り出しました。
永田和宏さん:
「例えば今回の新型コロナウイルス感染なんかは、非常に日本だけではなくて、世界的に大きな事件であり、人類がこれまで被ってきた感染症との闘いの一つでもあるわけですけども、これほどの大きな事件であっても、100年経つともう歴史上には1行か2行の記述になってしまう」
永田和宏さん:
「その時々にリアルタイムでどんなふうに感じられていたか、あるいはどんなふうにみんな受け止めて、それに対処していったかということというのは、多分一人の感想では追いつかないんで、いっぱいのいろんな人々がどんなふうに受け止めてきたかを残していくことがすごく大事だと思っていて」
歴史書には事実は残っても、そのとき人々が何を感じていたかは残らない。だからこそ、一人ひとりが自分の角度から歌にしていくことで、「いろんな形のアンサンブルとして一つの事件が実感として歴史に残っていく」と永田さんは語ります。
その「実感を残す力」を100年以上前に発揮していたのが、与謝野晶子でした。
女より智慧ありといふ男達この戦ひを歇めぬ賢こさ
与謝野晶子『火の鳥』(1919年)
第一次世界大戦を止めない「賢さ」を皮肉ったこの歌について、栗木さんはこう読み解きます。
栗木京子さん:
「結句が『やめの愚かさ』ではなくて『賢さ』っていうふうにあえて言っているところに、本当の聡明さというのはどこにあるんだという問いが聞こえてきて」
松村さんは「100年以上前の歌なのに、今のウクライナやガザの報道を見ていても、画面に出てくるのは男たちなんですよね。100年経ってもあんまり変わってないんだなって思ったりして」と、この歌が現在にも突き刺さる理由を語りました。社会詠は「いま」を記録すると同時に、時代を超えて読者の胸を打つ力を持つのです。
社会詠をどう詠めばいいのか。永田さんが繰り返し語ったのは、「何を見るか」の問題でした。
永田和宏さん:
「僕がずっと言ってきたのは、画面の端を見ようという話をしています。つまり、伝える側は一番伝えたいことを画面の正面においてだいたい伝えるもんで。だけどその事件の、あるいは出来事の本質っていうのは、どっか画面の隅にあることが結構、伝える側があんまり意識しないで見えてくるところを捉える」
その実例として話題に上がったのが、60年安保のデモを当事者として詠んだ清原日出夫の歌です。
ジグザグのさなかに脱げし少女の靴底向けて小さし警官の前
清原日出夫『流氷の季』
デモの混乱のなか脱げ落ちた少女の靴。その靴底がこちらを向いて、小さく転がっている──。3人の議論は4首目「底向けて小さし」に集中しました。
松村正直さん:
「やっぱり『底向けて小さし』ってところが抜群にいいですよね。こういう具体が入ることで、映像としてありありと読者の目に見えてくる。少女の靴だけでもいいって言えばいいんだけど、そこに『底向けて小さし』が入ったことで、もう格段に歌としては良くなってて」
栗木京子さん:
「やっぱり靴っていうところにすごく切実な感じがあって。屋外だから靴がないと困るじゃないですか。それでも脱げてしまった。底を向けてひっくり返ってしまったっていうところにね、何か混乱した状況がよく現れていて」
栗木さんはさらに、「この警官にもちょっと哀れを感じる」と踏み込みます。命じられてデモを取り締まる若い機動隊員もまた、ほとんど同年代の青年たち。権力 vs. 市民という単純な構図に収まらない、複数の視線がこの歌には潜んでいるのです。
「画面の端を見る」力は、コロナ禍の歌にも発揮されていました。松村さんが引いたのがこの一首です。
STAY HOME の呼びかけに取り残されつ春雷に家を持たぬ人たち
松本典子『せかいの影絵』
松村正直さん:
「僕自身は『STAY HOME』って言われて、面倒くさいなとか、そういう感じで捉えてたのに対して、松本さんはHOMEって言われてもHOMEがない人もいるんだよっていう、非常にこの人ならではの視点で、そこからはみ出ちゃう、こぼれ落ちちゃう人の存在に目を向けてるっていうところがやっぱり一歩深い」
永田さんも「政府の呼びかけっていうのはどっかある種の基準を持っていて、それからはみ出る人があるってことになかなか一般の人も気がつかない」と頷きました。大きなニュースの「正面」ではなく、そこからこぼれ落ちるものに目を向ける。それが社会詠に深みを生む鍵なのだと、複数の歌が教えてくれます。
社会詠の難しさについて、永田さんはまとめの中ではっきりと語りました。
永田和宏さん:
「善悪の尺度で詠まないというのがすごく大事だと思っていて。これが善だ、これが悪だっていう、そこからその時点から詠み始めると、やっぱり一方的に流れてしまう」
ウクライナ侵攻を例に、松村さんも率直な迷いを打ち明けます。「ウクライナ頑張れ」と詠むことは、戦意高揚の歌と何が違うのか。太平洋戦争で歌人たちが批判されたことと、どう線を引けばいいのか──。正義感だけでは社会詠は成り立たないという認識を、3人は共有していました。
一方で、栗木さんは「逃げない」ことの大切さも語ります。
栗木京子さん:
「断定を避けて『何でしょうか』みたいな相手に預ける歌い方あるでしょ。そういう歌い方って、あたしね、あんまりしたくないんですよね。なんか逃げ場を作るみたいで。だからやっぱり社会詠っていうのはある程度リスクはあっても、自分はこう思うっていうのを言わないと伝わらない部分がある」
善悪で裁かない。けれど、自分の立場からは逃げない。この一見矛盾するような姿勢のバランスこそが、社会詠の核心なのかもしれません。
セミナーの終盤、栗木さんは永田さんの歌集を引きながら、社会詠の出発点をこう語りました。
栗木京子さん:
「永田さんは、いわゆる社会詠みたいなものほとんど詠んでこなかったんだけれども、自分が子供を持って初めてね、憲法の問題とか、特定秘密保護法案とか、そういうものに対して自然な感じで関心が湧いて詠んでおかなければと思ったっていうふうにして詠んでおられて、やっぱりそういうおのずから沸き上がる関心っていうようなものが大事なのかなと思いました」
「題詠みたいになっちゃうと、社会詠というのはいけない」と栗木さん。ニュースに反応して次々に歌を量産するのではなく、自分の生活や実感と地続きの関心から詠む。永田さんも「自分がこれは声に出さなければならないと思うものに焦点を絞って歌ってほしい」と、選者としての願いを語っていました。
この記事でご紹介したのは、約90分のセミナーのほんの一部です。実際のセミナーでは全9首の歌を鑑賞しながら、一首一首をめぐる3人の議論がじっくり展開されています。
記事では触れられなかった歌もまだまだあります。土屋文明が満州国の成立をラジオで聞いて詠んだ一首、高野公彦が9.11の惨事を「香水の香り」で捉えた驚きの一首、栗木京子さん自身のバスジャック事件の歌をめぐる永田さんとの丁々発止のやりとり──。
選者である永田さんと栗木さんが、歌のどこに目をつけ、何を「いい」と感じるのか。その判断基準を、鑑賞の現場でリアルに体感できる貴重な映像です。社会詠に限らず、「自分の歌をもう一段深くしたい」と思っている方にとって、きっと発見の多い時間になるはずです。
このセミナーで「画面の端を見よ」「善悪で裁くな」「おのずから沸き上がる関心を大事に」と語った永田和宏さんと栗木京子さんは、第28回NHK全国短歌大会の選者でもあります。セミナーで語られた視点を踏まえて歌を推敲し、選者に届けてみませんか。
日々の暮らしのなかで感じた社会への思い、ニュースの画面の端に見つけた小さな発見、善悪では割り切れない複雑な感情──。あなた自身の「実感」を31文字に乗せてお送りください。
投稿締切:2026年11月16日(必着)