巣ごもり中も俳句づくりに熱い、伊予吟会宵嵐さんから今月もお便りが届きました!
庚申庵
俳都松山の三庵をご存じでしょうか。
松山市のホームページによると、江戸、明治、昭和の3つの時代に、松山ゆかりの俳人が結んだ庵と記されています。
具体的には、昭和初期の種田山頭火終焉の地である「一草庵」、明治時代に松山中学校に赴任した夏目漱石の下宿「愚陀仏庵」、そして今回のテーマである江戸時代の「庚申庵」と続きます。
山頭火や漱石に比べて知名度には劣りますが、この草庵を作った俳人は栗田樗堂という酒造家です。
余談ですが、庚申庵の建てられた味酒町という地名から、江戸時代のこの辺りは松山の酒処だったことが窺えます。
樗堂は当時伊予随一の俳人と呼ばれ、小林一茶が松山まで遊びに来たという逸話が残っているほどです。その樗堂が仲間たちと俳句を楽しむために、私財を投じて建てたのが庚申庵でした。建てられた寛政12年(1800年)の干支が「庚申」であったことから、『庚申庵』と呼ばれるようになったとのことです。
滋賀大津で芭蕉が暮らした『幻住庵(げんじゅうあん)』に倣った造りで、庭や藤や泉水にいたるまで、風雅を求めた空間となっているのです。そののち庚申庵は公有化され、2000年から3年かけて復元されたあと、現在では藤の名所として松山市民の憩いの場所となっています。
草の戸乃ふるき友也梅の花 栗田樗堂
庚申庵の入口に樗堂の句碑があります。
この四月から五月にかけて、コロナ禍の庚申庵は拝観中止となりました。外から藤棚や躑躅を眺めることが出来ますが、風情の庭園や泉水を間近に見ることは出来ません。すぐ横を郊外電車が走る光景は、庵とのギャップがあってなかなかのフォトスポットだと思いますが、出来れば藤の季節に中を見ていただきたい場所です。
その際には、同様に保存されている一草庵に加えて、夏井いつきさんが平成に結んだ伊月庵についても、松山第四の庵として訪れてみては如何でしょうか。