東京本校で『聴こえないこと』についての講演会!①

  • 東京本校

N学では、生徒のみなさんに高卒資格ばかりでなく、幅広い社会的視野を身に付けていただくため、“N学特別講座”をはじめ、さまざまな特別教育活動に取り組んでいます。

その一環として、11月2日(金)に東京本校の体育館で、宮本治之さん・宮本まどかさんご夫妻をお招きして講演会を実施、生徒・教職員100人ほどがお話を聞かせていただきました。

お二人とも聴覚に障がいがあるのですが、治之さんはサラリーマンとして管理職に就き今年退職、まどかさんは、『聴こえないピアニスト』として活躍されています。

夫の治之さん(1958年生まれ)の聴こえなくなった原因は、子どもの時に受けた肺炎防止ストレプトマイシンの投与によるとのこと。“ストマイ難聴”と呼ばれ、当時、大きな社会問題になりました。高校の頃には、聴くことが困難になりました。「聴こえない障害の困るところは、一見して障害があるようには見えないので周りの人に理解してもらうのに時間がかかること、外出するとやはり踏切や自動車の音がわからないため危ないこと、電話のように対面でない相手とのコミュニケーションが難しいこと」と、まず大変な面を語ってくれました。

人との会話が苦手で本好きだった治之さんですが一浪して早稲田大学に入学し、そこで自分を変えられないかと手話サークルに加入、自分と同じような人と出会い勇気が出たといいます。

障がいがあっても社会に貢献できるはずだ、と治之さんが就職先に選んだのがNHKでした。雨の日に採用面接に出かけ、ほかの受験者がリクルートスーツに身を固める中、ジーンズに長靴で出かけかえって注目されたとか。赴任先では、聴覚に障がいのあるお客様に手話で対応し、仲間を募って手話サークルを立ち上げるなど、身の回りから職場のありようを変える努力を退職されたこの6月まで続けられたそうです。

治之さんが大切にしている言葉。

「人間は 障害にむきあったときに 自分を発見するのだ /サン=テグジュペリ」

「人と違うことは、個性であり、価値になる / エイミー・マリンズ」

この二つを座右の銘にされているそうです。

妻のまどかさんは、幼少期から聞くことが困難ということでしたが、きれいな発音でお話してくださいました。ろう学校で、発声と健常者の口唇を読みとることを厳しく教わったそうです。現在では手話が、聴こえない人にとって大切なコミュニケーション手段であることが認められていますが、まどかさんが子どもの頃は、驚くべきことに手話が禁止されていました。ろう学校で手話をすると、水を入れたバケツを持たされて、廊下に立たされたそうです。聴こえない人が、健常者と同じように振る舞うことを強いられる時代でした。

いじめを受け、友だちの作り方がわからなかったまどかさん、家でお母様が買ってくれたピアノを弾いている時だけが、自分でいられる時間でした。ピアノがどんなに上手でも歌ができないから、と音楽の点数が5段階の2だったことは悔しい思い出でした。転機は小学校6年生、学芸会での歌の伴奏を任された時だといいます。勉強ができても無視してきたクラスのみんなが、声をかけてくれるようになったのです。「生きてていい」と思えた、そして、日本で初めての『聴こえないピアニスト』誕生の瞬間でした。

まどかさんはそんなお話を、「チューリップ」「エリーゼにために」「星の世界」など心に沁みる演奏を交えながら語ってくださいました。

最後に、手話で「ふるさと」を合唱、また、覚えておきたい手話表現として、“ありがとう”、“助ける(助け合う)”、“共に歩く”教えていただきました。

私たちも貴重なお話を、これからに生かしていきたいと思います。

宮本さんご夫妻、本当にお疲れさまでした。

生徒のみなさんの感想は、別途お伝えします。

 

一覧に戻る